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第8回 「免疫反応系の情報発信細胞 --抗原提示細胞のお話--」

干葉大学医学部教授 矢野明彦

 中学時代や高校時代の同級生の中に、必ず昆虫博士やラジオ作りの名人がいるものです。私と言えば、近所の雑木林からカブト虫やクワガタをたくさん取ってくる友人を脇目でみながら、よし自分もと意気込んで行っても数匹のかなぶんを捕まえてくるのがせいぜいでありました。ステレオ作りの名人の同級生は、記号化されたトランスや抵抗器やコンデンサーなどで描かれたヒエログラフのような複雑な電気回路をみるだけでステレオの機能が分かり、さらには自分の手で作りあげてしまうのです。友人が作ったステレオの10分の1にもならない極く単純な設計図で描かれたステレオをその友人に教えてもらいながら漸く作り上げ、期待に胸が波打ちながらスイッチを入れるやいなや音の代わりに煙が出てくる現実を経験するにいたっては、コンプレックスを感じないわけにはいきませんでした。ところが、こんな私でも研究者として受け入れてくれるほど科学は鷹揚です。

 私は大学卒業と同時に産婦人科を専攻しましたが、研修医2年目で大きな転機がきました。母体と胎児の関係を理解するには免疫学を理解する必要性に気がつき、大学院で免疫学を勉強することになりました。やがてアメリカへ留学し、免疫学の命題である自己-非自己の認識機構が抗原提示細胞によって統御されているという学説を基に研究を進める事になりました。私達の身体の免疫系がいかに病原体などの異物を認識しているかという問題であります。世界中の多くの免疫学者がこの命題に取組み、免疫細胞(リンパ球)は主要組織適含分子(HLA)を自己-非自己マーカーとして認識していることが明らかになりました。1968年にペナセラフらが、そして1996年ジンカーナーゲルらが、この研究の流れの中で成果を出してきた多くの免疫学者の代表としてノーベル賞を受賞しました。

 私達の身体は病原体の感染や異物の出現に対して免疫反応を起こし、生体防御に働きます。免疫反応の非自己認識は極めて優れていて、一体どの様な非自己であるか一つ一つを見分ける能力を持っています。私達がお互いの顔や姿を見て単に自分とは違う他人てあるというだけでなく、この人は○○君とか○○さんと個人識別ができる能力を免疫反応は持っています。これは私達の細胞が持つ6種類以上のHLAへのタイプの組み合わせによるもので自分と同じHLAタイプの組み合わせを持つ人は十万人に一人いるかいないかの確率です。免疫反応が過剰に起きた病気の一つにアレルギーがあります。花粉アレルギーを例にとりますと、杉花粉のアレルギー症の人は杉の花粉にアレルギーを起こしブタクサの花粉にはアレルギーは起こしません。逆にブタクサ花粉のアレルギ一症の人はブタクサの花粉にアレルギーを起こし杉の花粉には起こしません。このことは私達の免疫系がものの見事に花粉の種類を見分けていることを示しています。さらに驚いたことに、免疫反応は繰返し勉強をすることにより記憶力を発揮します。ワクチンの注射を何回もするのは、免疫反応に記憶力をつけさせるためです。そして、病原体が襲ってくる本番で、いち早く、かつ強い防御反応を起こし、感染から身を守るのです。

 ところで、私達の免疫反応の強さは人によって違います。同じ状況で杉花粉に曝されていてもアレルギーを起こす人と、起こさない人に分かれます。この理由は免疫反応が遺伝的に決められているためです。免疫応答性を決めている重要な遺伝子の一つがHLA遺伝子です。その仕組は、HLA遺伝子を発現している抗原提示細胞とよばれる細胞が身体に侵入してきた病原体や異物などの抗原情報をどのようにリンパ球へ流すかによるのです。アレルギーの人では花粉抗原などの情報が大げさに知らされたために、過剰の免疫反応が起きていると考えられるのです。一方、癌の場合には癌抗原の情報がほとんど発信されないために免疫反応が起きないと考えられます。このように免疫反応系の情報発信塔である抗原提示細胞の機能を統御することは大変重要な意味を持つことになります。例えば、アレルギーの場合には抗原情報量を抑制し過剰な免疫反応を低下させることによりアレルギーが起こらないようにするとか、癌の場合には癌の抗原情報を多く発信し癌に対して強い生体防御反応を起こし癌から身を守ろうということになります。抗原提示細胞を発見した私達の次の目標は、抗原提示細胞の機能を増幅したりあるいは抑制することによって、今言ったようなアレルギーや癌、感染症などの病気を治す方法を開発することです。

 アメリカから帰国した私は、たまたま空いていた寄生虫学講座の教官になり研究を続けることになりました。実を言いますと、寄生虫学は学生時代に最も苦手で勉強しなかった科目でした。ところが、寄生虫は私の研究生活を支えてくれることになりました。何のことはない、私は寄生虫の寄生虫になったわけです。ところが人生こんなものか、寄生虫と長くつき合っているうちに、寄生虫を始めさまざまな寄生体は大変面自くいとおしい生き物であることが分かってきました。寄生体が宿主の防御反応より強すぎると宿主は死んでしまいます。そうすると寄生体も一緒に生活の場を失い共倒れになります。また逆に寄生体が弱すぎると宿主に排除され寄生体の一巻の終わりでその種の滅亡となるわけです。現存している寄生体は今迄の寄生生活の長い歴史を通して、宿主と仲良く生活する生活態度をマスターしてきたのです。激しい症状を起こす病原体は未熟なのです。成熟した寄生体と宿主免疫反応の相互作用は先に述べた免疫反応を統御する遺伝子の働きを最大限に発揮させた結果とも言えます。私達の免疫反応はさまざまな寄生体感染によってその進化の方向性が決められてきたと考えられます。ですから、寄生虫感染症が激減した日本で、本来寄生虫に対する防御反応として進化してきたIgE抗体産生や好酸球が、奇生虫抗原刺激がなくて身の置き所がなくなりその結果、憤懣やるかたなく欲求不満になり、起こさなくてもよい花粉に八つ当りしたためにアレルギーが起きて患者数が増えてきたとも言われています。

 さて最近、一度は抗生物質の登場でコントロールできると考えられた結核を始め感染症が再びマスコミでも取り上げられるようになってきました。今現在、地球上に約3億人のマラリア感染者が存在し、年間120万人の人が死んでいます。その対策に莫大なお金と研究努力が使われています。数々の成果をあげてきたかに見える科学に対して、薬剤耐性菌やDDT耐性媒介蚊が出てきているのです。このように、1.5kgの巨大な脳を駆便するヒトに対してその10憶分の1の数μgの中枢神経臓器や1兆分の1の数ngの細胞内感 覚器官しか持たない昆虫や原虫がしたたかに対応しているのを見るにつけ、宿主-寄生体の相互関係の数億年にも遡る歴史や、寄生虫とは一体何なのかを改めて考えさせられます。

 華々しく発展しているように見える免疫学も、もう一度、その本来の生理的役割である「疫から逃れる」という自然界の姿を直視した感染免疫学を進めることによって、臨床医学の現場にフィードバックすることができる学間へ確立できるものと確信しています。

(千葉大学発行『「知」の世界へどうぞ』 第2集より)

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