Web講座

第5回 「シャーロック・ホームズは隠れた神経内科医である」

医学部附属病院助教授 福武敏夫

図1 Queen Square の風景

 ちょっと前になりますが、1994年夏、私はロンドンヘ初めて旅しました。13時間の飛行を終え、テームズ川に架かる淡青色のタワーブリッジが真下に見えたとき、ついに私の「聖地(複数)」にやって来たと眠気も吹っ飛びました。

 どちらが上ということはないのですが、第一の「聖地」は、世界中から訪れる人の多い大英博物館を抜けて5分程歩いたところに静かなたたずまいを見せていました。ロンドンの他の大小の公園と比較すると少し拍子抜けしてしまうような小さな広場がアン女王にちなむ Queen Square で、木々の間に何故かシャーロット女王の銅像が建ち、その向こうに国立神経疾患病院と神経研究所がありました(図1)。1860年に創設され、ヒューリング‐ジャクソン、ウィリアム・ガワーズ、キンニェー・ウィルソン、ゴードン・ホームズなど椅羅星の如き神経内科医の活躍で神経学の殿堂となった場所です。当科でもかつて服部教授、同門の北野先生(松戸神経内科)が留学し、現在同僚の一人が留学中です。  さて、もう一つの「聖地」を訪ねるため、世界一古い地下鉄に乗り、Baker Street 駅を上りました。お分かりですね、訪ねる先は 221番地B です。しかしそこは住宅金融会社の建物が建っており、世界中から偉大な探偵に寄せられる手紙を処理する秘書がいるだけでした。ちょっと行ったところに博物館があり、2階に探偵の居室が移されていました。残念ながら既に引退し、サセックス州でのんびりと暮らしているそうでシャーロック・ホームズにはお目にかかれず、代りに美人の秘書から名刺だけ貰いました(図2)。

図2 シャーロック・ホームズの名刺

 シャーロック・ホームズは1854年に生まれ、1874年に最初の事件を依頼され、1877年には大英博物館のすぐ裏で開業しました。Baker Street に移ったのは1881年のことで、最初の事件簿「緋色の研究」が出版されたのは1887年です。総計60の事件薄があり、104カ所に脳卒中、痙攣、髄膜炎、中毒性神経疾患などの神経疾患が登場します。国立神経疾患病院において1878年に創刊された神経専門誌「Brain」をワトソン博士共々読んでいたに違いありません。知識があるだけでなく、彼は (1) 研ぎ澄まされた感覚から注意深い観察を行い、知識と推理力とに結び付けました。(2) 細かな点にも注意を払い、食い違いを見つけるのが得意でした。(3) 事例の中にある多くの選択肢を熟慮しました。(4) 何が重要で何がそうでないかを見極めるのに長けていました。これらは現代においても神経診断学や神経研究の方法論をなします。最も尊敬する人はという間いに躊躇なくシャーロック・ホームズを挙げる所以です。事実、彼は隠れた神経内科医であったと考えられます。生みの親のコナン・ドイルの学位論文のテーマは脊髄癆(神経梅毒)でしたし、彼がホームズのモデルとしたのは師であり卓越した臨床医のチャールズ・ベル(末梢性顔面神経麻痺などに名を留める)でしたから、間違いありません。

 こうして「聖地」周辺をうろつき回った後はお腹がペコペコで喉はカラカラ、当然成り行きでチャリング・クロス駅傍のパブ「シャーロック・ホームズ」で黒ビールを1パイント飲み干し、2階のレストランでハドソン夫人風ロースト・ビーフにボルドー・ワインを楽しんでいたら、Baker Street Irregulars が押し掛けてきて、後の記憶は・・・

 1996年に酔いが覚めて、自分の論文が「Brain」誌に初めて掲載されたのを見たときどれほど嬉しかったか想像できますか? 今後ともシャーロック・ホームズの足下に少しでもたどり着けるよう臨床的能力を高めていきたいと決意しているところです。諸君も少しは神経内科に興味を持ってくれましたか?

参考文献
Cherington M: Sherlock Holmes: Neurologist? Neurology 1987; 37: 824
Westmoreland BF et al: Arthur Conan Doyle, Joseph Bell, and Sherlock Holmes: a neurologic connection. Arch Neurol 1991; 48: 325

(千葉大学発行『「知」の世界へどうぞ』 第2集より)

PageTop