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第19回 「ストレスと私たちの脳」

医学部教授 千葉胤道

 日常の生活の中で、私たちは環境から光、音、匂い、味、あるいは触覚などいろいろな刺激を受けています。刺激の中には、言葉や画像などの情報も含まれますが、好みの音楽、太陽光線のもとに照らし出された緑の森や湖水、爽やかな花の香り、アイスクリームの甘い味、柔らかな羊の毛皮の感触など心地よい刺激は私達の気分を和らげ、血圧も下がります。一方、騒音、怒りの言葉、襲ってくる猛獣、腐った匂い、苦い味、痛みや熱など不快な刺激は私達の神経を高ぶらせ、心臓の拍動を強めます。

 刺激に対するこのような身体の反応は、自律神経とホルモンのはたらきによって起こることが解っています。しかし、私達の身体は、いろいろな刺激に慣れて、たとえ不快な刺激でもある程度耐えられるようになることもあります。よく『あの人は神経が太い』とか『あの人は神経が繊細だ』などと言いますが、個人差も大きいと思われます。

 また、苦しい体験であっても、それが仕事の一部であるとかそれを乗り越えれば楽しい未来があるというような場合には、私達はそれに耐えて、あるいはそれを克服して、目的を達成しようと頑張ろうとします。ところが、しばしば私達の身体は意志に反して、不快な刺激に耐えられずに拒否反応を起こしてしまいます。

 たとえば、学校で仲間外れにされたり、厳しい練習が続くとき、頭ではそれに耐えて行こうといくら努力しても、お腹が痛んだり、頭痛がしたり、吐き気がしたり、ときには胃潰瘍にさえなることがあります。また、はっきりとした原因を思い当たらないような弱い刺激でも、それが長い間続くと、脳や体の中に変化が起こっていることがあり、いろいろな症状が現れることがあります。
 さて、このような不快な、あるいは不利益な刺激をストレスと呼びますが、私達は、ストレスが加わるとき、脳の中でどの様なメカニズムが働いて、身体や精神の異常まで起こすようになるのか?について研究を進めています。

 脳を調べると、大きく分けて私達が意識するはたらきに関係する部位と、私達の意識にはのぼらない、すなわち、気がつかない内になかば自動的に働いている部位があることが解りますが、この二つの部位は、脳の中でお互いに密接な連絡を持っています。

 大脳の前の部分は、人間の脳では特別に発達していて、意志を決定したり、行動の計画を立てる機能がありますが、ここからの命令が出ると、手足を動かしたり、ご飯を食べたり、本を読んだり意志どうりの行動を始めます。同時に、とくに意識しなくても、手足を動かすときは、心臓を強く働かせ、たくさんの血液を筋肉に送り酸素を供給し、ご飯を食べるときは、胃液の分泌を多くし、腸の運動を強めます。本を読むときには、脳の後ろの方にある視覚と言葉を理解する部位に血液を多く送ります。

 ところが、この命令系統の歩調が乱れると、血液を必要な部位に十分送れないことが原因の一つとなり、胃潰瘍になったり、心筋梗塞になったりするのではないかと考えられます。命令系統の歩調が乱れるのは、脳の中での連絡がうまく行かないことに原因があるのではないかと思われます。

 外界から刺激を受けると、脳の後方で、視覚、聴覚、触覚などの情報を総合してその性質や、価値などを判断し、情報分析の結果を脳の前方へ送ります。私達は、これらの情報を受けてどの様に行動するかを考えて命令を送ります。同時に、意識にのぼらない脳の部位でも、自動的に反応が起こり自律神経やホルモンの働きを調節する命令を発信します。こうして、身体の内部の機能と、意識的に計画した行動とが良く調和している場合には、スムースに仕事が出来、体調も良いはずです。 

 この意識的な行動と無意識の体内の機能調節のシステムとは、脳の中でどの様に連絡しているのか、その調和を保つにはどのような物質が関わっているのか、その本態に迫るには、まだ多くのことを明らかにする必要があります。脳の中での情報の伝達は、神経細胞が神経伝達物質と呼ばれる化学物質を長い突起の先端から放出し、次の神経細胞を興奮させることによって行われています。そして、この情報伝達の速度や方向などは、また別の化学物質、たとえばドーパミンなどにより調節されています。コンピューターにも例えられる脳の精密な働きがストレスによって乱れると考えることも出来ます。

 私達はストレスを避けて『仙人』のような生活をすることは出来ないのですから、ストレスが脳にどのように影響するのか、そのメカニズムを正しく理解し、それに上手に対処することが出来るようにしたいと思います。人体の中で最後に残されたブラックボックスともいわれる脳の働きの解明に、独創的で柔らかな若い頭脳を持った皆さんの参加を期待しています。

(千葉大学発行『「知」の世界へどうぞ』 第2集より)

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