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第12回 「二つの世紀のはざまにおいて」

医学部附属病院講師 永田博史

 20世紀はすでにその幕を閉じようとし、21世紀の胎動が感じられはじめている。時間というのは途切れることのないものであるが、人間は時間に目盛りを刻みつけ、区切りをつけようとする。20世紀は、社会、文化、科学など、あらゆる面において、19世紀には想像も出来なっかたような変貌をとげた世紀であったといえよう。そして、21世紀には、その変化のスピードは、さらに加速してゆくであろうことは、疑いの余地がない。現在では、10年先は予想がつかないと言っている状況が、いずれは、5年先は、3年先は、というようになっているであろう。 私は、現在40歳であるが、平均余命を生きるとしたら、とてつもないSF的変化を現実のもとしてこの目で見ることになるだろう。

 20世紀において、人類が手にした科学上の三大技術は、航空宇宙技術、原子力、そしてバイオサイエンスに関する技術であるというのは、誰の目にも妥当な見解であろう。そして、この中で、21世紀にさらに大きな発展を遂げ、人類に最も大きな福音を与えるであろうと期待されているのが、バイオサイエンスである。とくに、遺伝子工学技術は、この四半世紀の間に幾何級数的進歩を遂げ、生命の本質、人間の特質を規定しているものまで明らかにしつつある。また、技術的には、あなたとまったく同じクローン人間を作ることさえ可能なレベルに達している。では、疾患を相手にする臨床医学では、バイオ・遺伝子工学の技術はどのように利用・応用されているのであろうか。まず、我々の用いる薬剤の中には、化学合成が困難なために、組み換え遺伝子を取り込ませた大腸菌や、培養細胞に作らせたものが多く存在する。診断の面では、それ自体がDNAやRNAであるウイルス感染症の診断や、遺伝性疾患の診断、癌や非遺伝子性疾患における遺伝子異常の検出などに威力を発揮している。遺伝子の異常を検出することは、単に診断に役立つだけではなく、疾患が生じるメカニズムを理解することにつながる。遺伝子というのは、人体を構成する蛋白質や、細胞が機能を発揮する際に作用する蛋白の設計図と考えてよいが、誤った設計図をもっていると、その結果は様々な疾患となって現れてくる。さらに、疾患を引き起こしている原因遺伝子を発見することは、疾病を初期の設計図の段階で明らかにするわけであるから、より正しい対応の仕方を我々に教えてくれる。たとえば糖尿病のようなありふれた疾患が、実は、まったく異なる遺伝子すなわち異なる蛋白の異常、異なる病態によって起こっているものの集合であるという事実が明らかにされてきたが、このような研究結果は、同じように見える糖尿病でも、当然ながら異なる理想的な治療法が存在することを示している。この二十年たらずの間に、疾患は、現象の詳しい解析から分子レベルまでのメカニズムの解明へと、まったく異なる次元で語られるようになってきた。21世紀には当然、病気の考え方、治療法などは現在とは異なる次元のものに変化してゆくであろう。我々は、このような劇的変化の奔流のまっただ中にいる。我々のなすべきことは、このような流れに流されるのではなく、流れにうまく乗ること、そして出来れば、積極的に流れを加速させる側にまわれるように努力することであると考えている。

 さて私は、医学部の中でも少々専門的な耳鼻咽喉科を専門としている。耳鼻咽喉科というのは、文字どおり耳、鼻、咽頭、喉頭を診察する診療科であるが、これらの共通点は、いずれも額帯鏡をもちいて診察を行うという点である。われわれのあつかう疾患のなかには、炎症などの上気道病変と、聴覚、嗅覚、味覚などの感覚器の障害、音声言語の異常、などが含まれている。また、喉頭癌、舌癌、上顎癌などの頭頚部に発生する腫瘍も我々の守備範囲に入っている。したがって、耳鼻咽喉科学の研究というのは、免疫学、神経科学、腫瘍学などをはじめとして非常に広範囲にわたっている。われわれの研究室では、分子生物学的手法、とくに遺伝子工学的手法を用いた研究をいくつか行っている。具体的には、難聴、アレルギー性鼻炎など、耳鼻咽喉科領域疾患の発症に関係する遺伝子の探求と解析、ウイルス、癌遺伝子の解析を行っている。

 耳鼻咽喉科領域で最近発見された大きな発見について、一つ例を挙げてみたい。難聴、すなわち耳の聴こえが悪い状態というのは、さまざまな原因で生じる。その代表的なものとして、古くからストマイ難聴が知られている。ストマイというのはストレプトマイシンという結核の特効薬である抗生物質のことだが、難聴を引き起こすことがあり、その副作用による難聴をストマイ難聴という。以前から、ストマイ難聴の発生には家族性があることが知られており、何らかの遺伝体質と考えられていた。最近、ストマイに対する感受性の原因が、ミトコンドリアDNAの遺伝子異常であることが明らかにされた。人体のほとんどあらゆる細胞は、核の中にある遺伝子DNAのほかに、ミトコンドリアの中に小さなDNAを有している。遺伝子DNAが30億個の塩基から成り立っているのに対して、ミトコンドリアDNAはわずか16,569個の塩基から成り立っている。家族性のあるストマイ難聴の患者さんではミトコンドリアDNAの1,555番目の塩基が異常な配列になっていることが発見されたのである。これが何故、ストマイに対する感受性獲得の原因なのかは明らかでないが、ストマイに対する敏感体質が簡単な遺伝子診断で行えるようになったわけで、リスクのある家系の方には非常に大きな福音となった。結核になっても、ストマイ以外の薬剤で治療を受ければ耳が遠くならずにすみ、逆に、家族にストマイ難聴の人がいても、ミトコンドリアDNAに異常がなければストマイを使用できると判断できるからである。また、ミトコンドリアDNAは、母親からしか子供に伝わらないので、父親がストマイ難聴の家系であっても、その子供は無用な心配をしなくてよいことが明らかになったからである。

 さて我々の研究室でも、既知のDNA診断を行いつつも、新たな人の役に立つ発見をしたいと思っている。研究にばかりうつつを抜かしているわけにもいかないが、いずれ大きな形で患者さんに貢献することが大学病院の役割の一つでもある。
 21世紀は、より多くのチャンスがある世紀のように思えてならない。皆さんも、何かの夢や考えをもって勉学に励んで下さるように願ってやみません。

(千葉大学発行『「知」の世界へどうぞ』 第2集より)

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